大韓帝国の日本併合(日韓併合)に関する韓国の主張への一考察
- Sakimori kakamigahara
- 2022年8月10日
- 読了時間: 20分
更新日:2022年8月12日
初めに
1910年(明治43年)に大日本帝国は大韓帝国と「韓国併合に関する条約」に調印した。 この条約は、日本の武力によるものでなく平和理に締結されました。また当時、欧米から批判もさ れていませんでした。500年間続いた朝鮮半島の最後の統一国家である李氏朝鮮の終わりです。そ して日韓併合により朝鮮人が日本の国籍となりました。 日本による大韓帝国の併合は、当時の国際法上も不当なものではありませんでした。欧米からは 「自立して生きていけない国家について周辺の国が国際秩序の観点からその国を保護国とすること は国際社会では問題視していない。」として日韓併合を不法なものとして扱っていませんし承認もし ています。李氏朝鮮王朝は清国の属国であったため自立できない国という認識が当時の欧米諸国の 共通したものでした。アメリカは、いち早く日本の朝鮮半島保護国化を承認(桂・タフト協定)しま した。これはアメリカがフィリピンの植民地化を正当なものにしようとする意図もありました。そし てイギリスも第2次日英同盟で日本の朝鮮半島保護を承認しています。イギリスはインドの支配を 正当なものと認めさせたいという意図がありました。 韓国が条約の調印は強制されたと主張している点についても李氏朝鮮王朝が日本に対して保護を 積極的に求めていた事実から強制ではなかったと言えます。かつ李高宗王自ら条約に賛成していた もので、強制されたものであったという韓国の主張は間違いであると言えます。
参考年表
1393年 明国皇帝が国号を朝鮮国とし明国の属国となる(以後500年にわたり主権を奪わ れる)。
1637年 清国に服従し属国となる。(明国及び清国が朝鮮半島の主権を約500年にわたって 奪っていた。)
1876年 日本と日朝修好条規締結し開国する。
1882年 壬午事変 (閔氏政権が日本に対し朝鮮軍を近代的軍隊として教育訓練を依頼した が親衛隊のみであり旧体制の軍人への俸給が遅延したこと等により不満 が爆発し反乱となった。日本の公使館も襲撃され14名が殺害される。閔 氏を追放し興宣大院君政権が復活するも 1 ケ月で大院君拉致事件を機に 高宗・閔氏の政権が再び復活する。)
1884年 甲申事変 (親日派(朝鮮の近代化の推進派)の独立党によるクーデター。清国軍の 介入により3日で失敗した。親日派の粛清が始まる。事変が成功していれ ば朝鮮独立の好機となっていたと言われている。この事変においても多く の在留日本人29名が殺害された。)
1894年 東学党の乱 (農民の内乱、鎮圧のため日清両国が出兵した。日本は、清国に朝鮮国 の独立を提案し近代国家化のための内政改革を両国で支援することも提 案した。) 日清戦争勃発 (清国と日本が朝鮮半島の近代化に取り組むという日本の提案が受 け入れられず清国が武力をもって朝鮮半島を支配しようとするため戦争 となる。)
1895年 日清戦争終結 下関条約(第1条に朝鮮の独立を明記) 1 朝鮮の独立 2 遼東半島、澎湖島及び台湾を日本に割譲 3 賠償金3億円 4 開市、開港地の日本の製造業従事権 5 日清修好条約 三国干渉(露独仏)(ロシアが遼東半島を占拠、朝鮮の親露派が台頭する。)
1896年 清露攻守同盟 (李王朝露公使館にて政務を執る。)
1897年 国号を大韓帝国とする。
1900年 清国で義和団事件が起こる。(山東省の武装勢力であった義和団が現地のキリスト教 団体と住民との間の問題に介入したのをきっかけに武力を持って北京の 在外公使館を包囲するに至り日本をはじめロシア、イギリス、フランス、 アメリカ、ドイツ、オーストリア、イタリア各国が軍隊を派遣し公使館を 持つ国の連合軍と義和団・清国軍と戦闘状態となった。事件後ロシアが清 国の影響力が弱まった満州に軍隊を駐留維持し朝鮮北部にも軍隊を駐留 させる。) 義和団:「扶清滅洋」(清朝を扶け西洋を滅する)を叫び一般農民を中心に結成された。
1903年 39度線以北がロシアの勢力下となる。(李王朝は国民の安全より自らの存続のみ画 策する。)
1904年 日露戦争 (ロシアの南下政策により満州及び朝鮮半島の権益をめぐり戦争となる。) 朝鮮人による軍需物資の横流しが横行し日本軍は兵站においても苦戦す る。日本の奉天会戦と日本海海戦の勝利により戦争が終結に向かう。
1905年 ポーツマス条約(10月14日ロシア批准)
1 日本の朝鮮半島における優越権
2 日露両国の満州からの軍隊撤退
3 樺太南半分の日本への割譲
4 鉄道及び炭鉱の日本租借権
5 旅順、大連の日本租借権
6 沿海州沿岸の日本漁業権
敗軍のロシア兵捕虜を日本は国際法と武士道精神で厚遇
韓国総督府を設置 (外交権を日本が掌握 大韓帝国を日本が保護し李王朝を存続 させる。清国、イギリス及びアメリカが保護を承認)
日清戦争と日露戦争は、日本が朝鮮半島の独立のために清国及びロシアと朝鮮半島及び清 国関東部で戦った戦争です。
1906年 日本南満州鉄道株式会社設立 (李王朝はアメリカに日本の保護国を無効にと訴えるがアメリカは日本 支持、急激な近代化が進みつつあり、朝鮮半島内で物価が高騰する。)
1907年 ハーグ密使事件 (李王朝、オランダで開催されたハーグ平和会議において米英仏独 蘭国に日本の保護を無効と密使を出すが各国から拒否される。欧米各国は 独自で主権を維持できない大韓帝国の日本による保護を支持) 反日義兵団闘争(~1910年)朝鮮独立運動で14万の義兵団が日本軍と戦う。日 本軍は数千人であったが組織戦により義兵団を制圧した。
1909年 伊藤博文暗殺 (朝鮮人の特性から日本への併合に最後まで反対していたと言われ ている。併合せず保護国のまま近代化を援助する方法を推進していた。)
1910年 韓国併合に関する条約締結 朝鮮総督府(前身:韓国総督府)設置 身分差別廃止(両班が権威を失う)奴婢の開放 各出来事について詳細な説明は省略してます。
考察
韓国が主張する日本が併合時代に朝鮮半島から奪った事案等(現代韓国が七奪と呼称する)につい てそれぞれに考察を進めていきます。以下、項目1から7に述べます。 歴史的な背景として韓国に特定せず、朝鮮半島全体の国家であった大韓帝国についてまとめてい ます。
1 日本が併合により国王を奪ったという主張について。
併合時に日本は、李氏朝鮮王朝を日本の皇室と同等に扱いました。李高宗王は朝鮮王として李純 宗皇子は朝鮮皇子として高い位のまま日本に迎えられました。日本から「李王家歳費」として当時 150万円という日本の宮家の歳費(70万~100万円)より高額の予算が組まれていました。 李王朝は、日本の努力により大東亜戦争終結後も王家が存続していましたが李承晩は、これを無視 し、李王朝一族の韓国入国を拒み朝鮮王朝を韓国に復活させませんでした。国王を奪ったのは戦後 の韓国です 。
2 朝鮮国の主権を奪ったという主張ついて。
主権とは、国家の構成要素のうち最高・独立・絶対の権力をいい、近代的な領域国家における意 思決定と秩序維持における最終的な政治的権威のことです。李氏朝鮮は、国民及び領土を統治する 権力である統治権を有していましたが、国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う 権利と国家の政治を最終的に決定する権利は有せず清国に伺いを立てなくてはならない立場でし た。そのような状況下で日本は、朝鮮国の独立のために日清戦争を戦いました。日清戦争後に結ば れた下関条約第1条は、「清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す」と記載し ています。この時にようやく主権を朝鮮国が得ました。忘れてはいけないことは、日本が自国の国 防確立のために、かつ朝鮮半島が近代国家として自立して白人国家に対抗するために朝鮮半島で 戦争をしたのです。つまり日本は、朝鮮国の独立と朝鮮国が主権を得ることが出来るようにするた めに日清戦争(1894年)を戦ったとも言えるのです。 私たち日本人も日清戦争が日本と清国の 2 国間の戦争ではなく朝鮮半島を舞台とした戦争であ ったことを理解しなければなりません。日本の国防上も朝鮮国に近代国家になってもらう必要が ありました。日本が清国と朝鮮国の独立のための戦争をしたのです。 その後朝鮮国は、国号を大韓帝国とします。日清戦争後も朝鮮半島を取り巻く情勢はロシアの南 下政策の脅威が依然として残っていました。この時期の大韓帝国は、国力が不十分なため朝鮮半島 がロシアの植民地とならないように、かつ主権をロシアに奪われないためには、日本に併合しても らい日本人になる以外にないと判断して併合条約となったのです。大韓帝国は、国力が十分でなく 自立した国家として国体を維持していくことがまだ不十分な国でした。 日本の一地方になったことにより、李氏朝鮮王朝(この時は大韓帝国政府)が主権を日本に譲っ たのです。日韓併合で日本が一方的に主権を奪ったと韓国が主張しているのは間違いです。併合後 の政治的中心であった朝鮮総督府は日本人より朝鮮人の職員が圧倒的に多く施策が一方的に日本 主導で行われたわけではありません。日本による併合が平和時に条約で行われたことと、武力によ る併合でなかったことから国際法上も問題のないもので当時欧米からの非難もありませんでした。 大韓帝国は、国力が弱かったために主権を大韓帝国独自では維持できなかったのです。
3 日本は、併合時に朝鮮人の姓名を奪ったという主張について。
日本人と同じく朝鮮人(併合後は朝鮮の人)の多くの開拓民が満州地方へ移住しました。しかし 名前から朝鮮人とわかると中国人から侮辱されることから満州の開拓朝鮮人から「中国人に馬鹿 にされないように、馬賊から襲われないように日本名を名乗れるようにしてほしい。」と要求があ りました。当時、朝鮮半島内の戸籍登録及び個々の姓名についてきちんと管理されていない状況で 姓を名乗る習慣もありませんでした。日本の併合により奴婢であった多くの小作農民に戸籍を与 えたのは日本でした。しかし、識字率が悪かったため戸籍の調査と付与は相当の時間を要しました。 ほとんどの小作農民が字を読むことが出来なかったため、戸籍制度自体を農村部に知らしめるだ けでも期間が必要でした。小作農民の大半が奴婢であったために姓が不明である者も多く朝鮮姓 の登録も困難な作業でした。 日本名に改名する要望が強かったため昭和14年になってようやく朝鮮戸籍法の改正がされま した。いわゆる創氏改名は朝鮮名でも日本名でもどちらでも選ぶことが出来るものでした。多くの 朝鮮人が日本名の方が生活や就職に都合がよいため日本姓を選びました。日本が朝鮮の姓を奪っ ていないのは明らかです。韓国は、根拠となる朝鮮戸籍法の改正法を実際の施行が終戦間際であっ たことをけして引き合いに出してきません。また朝鮮総督府の役人や地方役人は殆ど朝鮮人でし たが(日本人の役人は職員全体の2パーセント程)朝鮮姓で勤務する者も多く、日本の士官学校や 兵学校へ進学した者も朝鮮姓のままにしていました。これらの事実からも姓を朝鮮名、日本名のど ちらを選ぼうが自由だったのです。朝鮮名で通し続ける人も多かったことから日本による創始改 名が強制されたものでなかったことが分かる事実です。日本の靖国神社に多くの朝鮮人兵士が朝 鮮名で祀られています。
4 日本はハングルを奪ったという主張について。
併合以前から日本は、朝鮮各地に小学校を順次建設し、併合時には100校程度でしたが大東亜 戦争前には半島全土に6000校を超える小学校等を建設しました。そして文盲率90パーセン トを超える朝鮮人へ教育を施しました。当時の日本国内でさえ小学校は、4年制が基本であったの に朝鮮半島では最初から6年制を取り入れました。いかに教育政策に日本が力を入れていたがわ かる事実です。 併合後に日本はハングルの普及も積極的に実施しました。短い期間に中学校や師範学校等に加 えソウル大学まで日本は建設しています。ハングルによる朝鮮人のための新聞発行も許可してい ます。当時総督府を含め地方役人の日本人にも朝鮮語を話せることとハングル文字の読み書きが できることを義務付けられていました。このことからもハングルを奪ったというのは明確な根拠 もない虚言であると言えます。併合前は、ほとんどの朝鮮人が読み書きを満足にできなかったので す。今あるハングル文字文化の拡散の礎は、日本が作ったのです。ハングルを奪ったどころか庶民 に文字を普及させたのは日本だったのです。 大東亜戦争終結時には朝鮮半島での識字率は約60パーセントから70パーセントにも向上し たと言われています。しかしながらハングルが併合時代に急速に朝鮮半島内で普及した事実を今 の韓国の国民の殆どの皆さんが知らないのが現状です。
1943年までに日本が建設した教育施設 小学校 4271校
日本に先駆けて6年制を実施 併合時は、100校程でしたが順次建設を進め1943年に 4200校を越えました。
認定学校 126校
簡易学校 1563校
中等学校 268校
高等女学校 76校
師範学校 13校
教員養成校 女子師範学校 2校
帝国大学 1校 現ソウル大学
その他(従来からある教育施設) 書堂 3052堂 李氏朝鮮時代からの小規模な教育施設で私塾のようなもの
参考:ハングルは、表音文字で日本のひらがなに相当する。
5 朝鮮の多くの人命を日本が奪ったという主張について。
日韓併合時の朝鮮半島の人口は、約1300万人であったそうで大東亜戦争終結時には250 0万人以上と倍増しています。衛生環境が劣悪であった朝鮮半島各地に公衆トイレとゴミ処理所 システム及び安全な水道施設を構築しました。世界一汚い都市ソウルを衛生的な近代都市に変貌 させました。結果、伝染病等が激減し死亡率が低下して人口増加となりました。李氏朝鮮時代の医 学は極めて欧米に遅れていて呪術師の祈りや呪いが主流でお金があるものしか薬草も求められな い状況でした。日本の朝鮮半島全土に及ぶ衛生環境の改善により平均寿命も飛躍的に伸びました。 衛生環境だけでなく主食である米の生産方法も旧態依然としたものでした。当時の朝鮮米は品 種改良の努力も行われておらず、同じ水田面積で日本米の半分の収穫量しかありませんでした。日 本から収穫量の多い品種を持ち込みコメの増産を計りました。併合時の収穫量1000万石が2 0年後には2000万石にまで増えています。増えた米を日本に出荷できるまでになったのです (対価の派生する出荷でしたが韓国教科書では収奪され日本へ移送と教育されています。)。 人命を奪ったのでなく命を日本が増やしたのです。人口は増え続け、朝鮮戦争前には3500万 人を越えています。
しかしながら朝鮮戦争で約500万人の軍人及び市民が犠牲になっています。現代の 韓国の教育では朝鮮戦争も日本のせいになっているのでこの時の多大な犠牲者は日本によるもの と間違った認識があります。但し、日本も朝鮮戦争に機雷掃海作戦及び海上輸送作戦で参戦してい ます。 朝鮮戦争で亡くなった市民の中には虐殺によるものも多く含まれることにも注視しなければな りません。そして大東亜戦争後に日本国内へ引き上げる多くの日本人の民間人とその家族が朝鮮 人により家財道具や手荷物を各地で奪われ朝鮮半島で寒さと飢えで亡くなっていることも日本人 も知っておく必要があると思います。これは、当時の朝鮮人は立場が変わると損得を優先し、野蛮 な行為に専念したためです。当時の朝鮮人は、われわれ日本人が想像するよりもはるかに低い民度 であったことも原因といえます。
朝鮮戦争 1950.6.25~1953.7.27停戦 日本の参戦は3000人から4000人と言われている。
6 日本が韓国の土地を奪ったという主張について。
韓国の国定高校歴史教科書に「日本は、併合時の土地調査事業によって農民から土地を取り上げ、 日本に奪われた土地は全国土の40パーセントにもなった。」と記述されている。はたしてそれは 事実なのかという問題についてですが、李氏朝鮮時代、李朝初期は土地を私田と公田に分けた制度 を執っていましたが、すぐに特権階級による収奪の横行で制度自体が無きに等しいものになりま した。やがてほとんどの土地は両班といわれる特権階級の役人が地主となり農民は殆ど土地を所 有できなかった。それは農民の大半が平民以下の奴婢であり奴隷のような身分なため土地を所有 する権利もなかったためです。農民の大半が土地所有の概念がなく、加えて両班同士で土地の所有 を争っている状況で、中央政府の政策が地方に及ぶこともありませんでした。 李氏朝鮮王朝は国として肝心の土地調査すら500年余の支配の間一度も実施していないので す。特権階級の地位にあるものは仕事をしないという風土が作られ、ために国家として発展するこ とを500年もの間、努力もすることもない状況でした。つまり政治の基礎である作物の生産量を 決める耕作面積も近代になるまで確認されておらず国家としての礎が構築されていなかったので す。日韓併合後に初めて日本が土地調査事業を1910年から8年の歳月をかけて朝鮮半島全土 にわたり実施しました。両班の主張する土地の境界が曖昧なため、地主を特定すると結果的に主張 が重なる部分が発生し主張するどちらかの両班が土地を失うことになったのは事実です。併合に より両班は支配する土地と共にその特権階級的な身分も失いました。
朝鮮総督府は、土地調査事業と並行して1910年から10年の歳月をかけ治山治水事業にも 日本から莫大な資産(5000万円)を朝鮮半島に投じて 事業推進に努力しています。 併合後に日本人が入植し開拓又は購入した土地の面積は最終的に併合後に増えた耕地面積(水 利用ダム建設と灌漑用水の整備及び朝鮮半島の山々に植林による保水能力の向上や大規模な河川 堤防建設により耕地面積は併合前の2倍となった)も含めて全耕作地の6パーセント分になりま した。植林には実に15年の歳月をかけ荒廃した山野に緑を蘇らせました。現在、韓国に広がる緑 豊かな山野は日本が日韓併合時に行った実に5億9000万本に及ぶ植林事業の賜物なのです。 日本人の入植者が得た土地は、奪ったのではなく購入した土地です。個人が購入したので今も日 本人に権利があると考えることもできます。
併合後に日本は、奴婢であった小作の農民を開放しました。解放された農民は土地も当てがわれ ましたが多くの農民が大切な土地を売ってしまい元の小作人に戻っていまいました。同時期に朝 鮮半島の女性の地位の向上も行われました。朝鮮半島の女性は様々な制約の下、自由な行動ができ ませんでした。残念なことですが物扱いでした。 土地を離れた農民と日本の農地改革で増えた人口により新たな労働力が生まれました。多くの 朝鮮人が都市部の工場や日本及び満州に仕事を求めて移住していきました。日本及び満州にそれ ぞれ100万人以上の朝鮮人が移住したのです。日本が移住を強制したのではなく満蒙開拓と日 本における安定した生活を求めて朝鮮人が自ら行動したのです。 日本人が朝鮮人から土地を奪ったのではなく、大東亜戦争終戦によって日本人が合法的に購入 した土地を朝鮮人が奪ったのです。
朝鮮半島の耕作面積
1910年 246万町 1942年 440万町
農業戸数 1929年 280万戸 1942年 300万戸
戸数の増加はわずかですが1戸当たりの農業就業者が増えました。衛生 環境の整備により平均寿命が著しく伸びたことと子供が成長できたため そして離散するまたは逃げ出す農奴階級がなくなったからです。日本から 多くの品種を朝鮮半島に持ち込み普及させ収穫量も増えました。 併合時から日本は朝鮮半島の農業発展に大いに貢献したのです。そして多くの朝鮮人の先人の 努力と労働力が成し遂げた農業生産拡大事業でした。
7 日本が朝鮮から膨大な資産を奪ったということについて。
日韓併合前に大韓帝国が立国しますが当時の大韓帝国政府が用意できた国家予算が748万円 でした。近代化には3000万円の予算が必要でしたから不足分を日本政府が補いました。保護国 時代の大韓帝国と併合時の日本政府が支援した総額は21億円(当時の日本本国の 1 年の国家予 算が4億円程度)であり今の価値にして63兆円となる膨大な資金が朝鮮半島に投入されました。 労働力を求めて民間企業の進出も活発となり投じられた民間資産は大東亜終戦時の連合軍財産 管理局の調査結果によると現在の価値で16兆円に上り、この内8兆円相当の資産が韓国側に残 されました。終戦後の処置とはいえ仕方のないことでしたが、全て無償で韓国側に引き渡され、む しろ資産を収奪されたのは日本だったのです。併合時代の朝鮮半島に対する日本人の努力は想像 以上に大きなものだったのです。
日本が朝鮮半島に投入した資産については当時の貨幣価値が常 に変化した時代背景により諸説あり正確な把握はできません。
工業生産額の伸び
1927年 朝鮮半島工業生産額 3億円
1935年 6億円
1940年 18億円
併合時のインフラ整備費用例(日本政府出資)
港湾、道路整備、土木 8億8000万円
鉄道建設費維持費 21億8000万円
日本の国家予算は日露戦争時4億2000万円、1929年(昭和4年)15億6000万 円であったことを考えると莫大な予算が朝鮮半島へ投入されていたのです。
終わりに
20世紀初頭、朝鮮半島は未開の地であり国として自立するために十分な人(含教育)、物、金、 農業生産力、工業技術、通信網、道路網及び海運等にわたり満足できるものが何一つなく、長く明国 と清国の属国でありました。主要な産業である農業にしても灌漑用水の整備も食料増産の手立ても 一切施されていない旧態依然とした状況でした。 そこにロシアの南下政策により植民地となる危機が迫ってきたのです。朝鮮国が頼りにした清国 はすでに属国を助ける余裕はなく、代わりに日本がロシアの南下政策により、ロシアによる朝鮮半島 の支配をされたら日本国の存立が危うくなることは必定でした。だから日本は、積極的に朝鮮情勢に 介入するに至りました。これはロシアの脅威に対する日本の国防上の理由が一番大きなものだった のです。 日本は、朝鮮を保護国として近代国家化してロシアに対抗させようとし、それでも無理なら併合 して朝鮮半島を日本が直接防衛する以外に安全保障を図る手立てがなかったのです。 日韓併合は、誇り高い李氏朝鮮王朝には耐えがたいものであったと思います。併合は、韓国が主張 する日本の朝鮮半島侵略ではなく、弱肉強食の時代に東アジアに浸食しつつあった欧米の植民地化 に対抗すべく日韓両国民が命をかけて臨んだやむを得ないものであったことを今に生きる我々は理 解しなければならないのです。 そしてこの時代の李氏朝鮮王朝の堕落と、王朝政府が国家予算を私利私欲のために浪費したこと についても知っておかなければなりません。
朝鮮半島にとって李氏朝鮮の500年間は、まさに負の 歴史としか言いようがありません 。日本の併合から36年間は、日本人の真摯な努力とともに朝鮮人の先人が近代化へ努力したこと をよく理解するべきことと考えます。わずか36年という短期間に朝鮮半島の近代化を成し遂げた のは、日本の投資によるところもありましたが、当時の多くの朝鮮人の努力があったのは間違いのな い事実なのです。 日本人も朝鮮半島の人も日韓併合時の歴史的事実について当時の世界情勢と極東アジアの情勢を 客観的に捉えたうえで考察をすべきと考えます。 私もそうでしたが、小学校、中学校で日本の近代史を学ぶとき、教師から時間がないから教科書の 後の方は自習してねと言われていました。今思えば不思議です。時間はありました。日教組が強い時 代は日本人に正しい近代史を学ばせたくなかった意思が存在したと思います。そして教科書の中の 近代史のページ数もわずかでした。 朝鮮半島は、日本列島の隣です。近くて遠い国になってはいけません。いつか理解しあえる時がく ることを望んでおります。 そして第三者から見た日韓併合について素直に日本人も韓国人(朝鮮人)もその歴史的事実に向き 合える日がくることを願っています。
参考文献
岩波文庫 日韓併合小史 山辺健太郎著
文春新書韓国併合への道 呉 善花著
草思社文庫 朝鮮開国と日清戦争 渡邉惣樹
祥伝者文庫 韓国堕落の2000年史 崔 基鎬著
徳間書店 朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実 水間正憲著
講談社学術文庫 朝鮮紀行 イザベラ・ハート著
放送大学 北東アジアの歴史と朝鮮半島 吉田光男著
草思社文庫 日本の朝鮮統治を検証する 1910-1945 ジョージ・アキタ、ブラントン・パーマー著
経営科学出版 明治維新の大嘘 三橋孝明著
経営科学出版 東亜全局の動揺 松岡洋石著
扶桑社 戦後七十年の真実 渡部昇一著
版権の関係で各種図表、写真等については引用であるため本文 に添付していません。
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